足利義満

歴史上唯一
征夷大将軍
太政大臣の両方に
任命される

有力な守護大名の壊滅と南北朝の統一で
幕府の基礎を固める

3代
将軍

1358年、室町幕府を開いた足利尊氏が亡くなり、義詮が将軍になった年に義満はうまれた。

当時は南北朝時代で、後醍醐天皇が吉野に開いた南朝と尊氏が支えた京都の北朝が対立していた。

まだ室町幕府は安定していなかったのだ。

政治家としての
素晴らしい才能を発揮し、
幕府の権力を強大なものに!

1368

征夷大将軍

1367年、義満の父・2代将軍義詮が亡くなる。1368年4月15日に11歳で元服し、12月30日に北朝の朝廷は義満を征夷大将軍に任命することを決定し、翌年の元旦に義満に伝えられた。

1390

VS土岐康行

義満は「土岐氏は将来幕府を脅かす有力守護」だと考えていた。そこで土岐頼康が死に、その子頼行が跡を継ぐと義満はわざと頼行の領土を頼行の弟・満貞に与え、内乱を起こすよう仕向けた。そして、土岐康行が挙兵し、義満はこれを討った。

1391

VS山名氏清

山名氏は全国66ヵ国のうち11ヵ国を治めており、義満にとって危険な存在だった。義満は様々な策で山名氏を混乱させ、これを撃破(明徳の乱)。

1392

南北朝合一

南朝が所持している三種の神器を北朝にわたすことと今後は北朝と南朝が交互に即位することを条件に和平。

1394

太政大臣

1394年12月17日、義満は将軍職をその子・義持に譲り、自身は公家としての最高の官位・大乗大臣に任命された。

1398

大内義弘

大内氏はかつての山名氏のような危険な存在になっていた。そこで、義満は和泉・紀伊の守護職を返すよう命ず。大内氏は謀反を起こしたが、義満に敗れる。(応永の乱)

PROJECT

義満が始めた3つの事業

奉公衆

将軍家直属の家臣で、将軍の直接指揮下に入る武士のこと。義満はこれを3000騎の大軍団に育てた。

将軍家直属の家臣

01

土倉役・酒屋役

義満の時代には質屋や高利貸しが大きな利益をあげており、1393年からこれらの業者に税金をかけるようにした。

質屋や高利貸しへの税金

02

日明貿易

「日本が倭寇を取り締まること」を条件に義満は明と勘合貿易を行った。この貿易で幕府の財政は大いに潤った。

明との勘合貿易

03

北山文化

義満が愛した美術

伝統的な
文化

連歌・茶道・華道・五山文学

芸術

水墨画・能学

建築

北山第・室町第・多数の寺社

義満は学問・文学・絵画など、様々な分野に理解を示し、その発展に力を貸した。

1北山第

Kitayamatei

義満がつくった北山第には、貴族・武士・僧が招かれ、その結果、北山第を中心に新しい文化が生まれた(北山文化)。北山第の金閣は北山文化を代表する建物となった。

2能楽

Nogaku

義満は観阿弥と世阿弥の親子を援助し、能楽という舞台芸術が生まれる手助けをした。

能楽

3連歌

Renga

和歌の上の句と下の句を数人で交互に読み連ねていくもので、貴族や武士だけでなく、庶民の間でも大流行した。

連歌

4水墨画

Suibokuga

水墨画

墨一色で描く絵画で、鎌倉時代末期に、禅僧によって中国から伝わった。

5五山文学

Gozanbungaku

漢文

幕府から五山の称号を与えられた寺院の僧たちを中心に創作された漢文や漢詩。

関連人物

室町幕府初代将軍/義満の祖父

足利尊氏

1333年に鎌倉幕府を滅ぼし、1335年には朝廷を裏切る。後醍醐天皇派の新田義貞・楠正成・北畠顕家らと敵対し、勝利。1338年に北朝の光明天皇から征夷大将軍任命される。1358年、義満がうまれる100日ほど前に亡くなる。

室町幕府2代将軍/義満の父

足利義詮

足利家が鎌倉幕府に背いた時には新田義貞と一緒に鎌倉を撃ち落とした。将軍時代には、訴訟制度の整備や後光厳天皇への『勅撰和歌集』の編纂を執奏(提案)などを行う。38歳で亡くなり、11歳の義満が将軍となる。

管領

細川頼之

1368年、義満が11歳の時に2代将軍・義詮が亡くなり、細川頼之が初代管領として3代将軍・義満を支える。

ゆかりの地

鹿苑寺金閣 ROKUONJIKINKAKU

京都府京都市北区金閣寺町1

鹿王院 ROKUOIN

義満が24歳の頃、延命祈願の為に建立された寺

京都府京都市右京区嵯峨北堀町24

相国寺 SHOKOKUJI

京都府京都市上京区相国寺門前町701

等持院 TOJIIN

足利家歴代将軍の菩提寺

京都府京都市北区等持院北町63

EPISODE

息子

義満の息子・第4代将軍・義持は義満が大切にしていたものをすべて否定しようとした。その結果、北山第は金閣だけを残して取り壊され、日明貿易も中止となる。

一休さん

義満は一休さんを北山第に招き、どのくらい賢いか、試した。一休さんに屏風の虎を捕えるよう命じると「まず虎を絵から追い出してください」と返した。

幼少時代

南北朝の争いで京を離れていた幼少時代の義満は京に戻るときに「ここの景色は美しいから持って帰ろう。」と言い、家臣たちに、「お前たちが担いで帰れ。」と話した。

酒税

義満は日本で初めて酒税を課しました。ツボひとつで200文(今のお金で2万円くらい)の税金が掛けられた。

疑問

Q.

金閣の構造は?

A.

第一層は公家風の寝殿造り。第二層は武家風の書院造。第三層は唐(中国)様式。

Q.

金閣のスケールは?

A.

1986年から1年半の歳月をかけて修復した時に使われた漆の量は日本で一年間に生産される漆の60パーセントで、金箔は全部で20キロ。

Q.

なぜ金閣は1950年に焼け落ちたのか?

A.

放火。

Q.

どうして4代将軍は北山第を壊したのか?

A.

義満は将軍の位を息子の義持に譲ったが、義持よりも義持の弟・義嗣の方をかわいがったため、義持は義満が大切にしていたものを否定しようとした。

Q.

義満以後、室町幕府はなぜ衰えていったのか?

A.

義満は将軍家の権威を高めることで守護大名たちの力を抑え、幕府を安定させた。しかし、義満が亡くなると、守護大名たちが力を伸ばし、将軍家の権威は衰えていった。